裏方が表舞台に出る時代へ。日本の衛生スタンダードを作るジーピーコーポレーションの「ガラパゴス」戦略
株式会社ジーピーコーポレーション代表取締役 帆苅誠インタビュー
縫製工場の息子が、アパレル業界で生きた20年

最初のお仕事はアパレルだったとお聞きしました。なぜアパレルの道へ進まれたのでしょうか?
実家が縫製工場だったからです。父と母が二人で、家でミシンを踏んでいました。子どもの頃からボタン付けを手伝ったり、返品されてきた生地のほつれをハサミで切り取ったり。それが日常だったので、自然とアパレルへの親和性がありましたね。
ただ、本当は消防士になりたかったんですよ。高校を卒業して試験を受けて、2次まで行ったんですが……まあ、それ以上はコメントしません(笑)。当時の採用事情というものがあって。それでアパレルへ、という流れです。
ご両親のことを「尊敬できる」とおっしゃっていましたが、どんな方でしたか。
父は真面目で一生懸命ですが、自分のこだわりが強いひとでした。オーダー通りに作らなければいけないのに、どうしてもオリジナルが入ってしまう。そのたびに返品になって、稼げるはずの収入が半分になる。それの繰り返しでした。「一銭にもならない仕事だ」と、母がよくぼやいていたのを覚えています(笑)。
夫婦喧嘩は絶えませんでしたが、父と母がそろって仕事する背中を子どもながらにずっと見ていましたから。今も変わらず尊敬しています。
アパレルでは20年間勤めて退職されていますよね。最初から「20年で辞める」と決めていたんですか?
決めていました。実は今まで私は期限を決めずに動いたことが一度もないんです。最初から逆算して、2000年の年に区切りをつけました。時間って有限ですよね。限られた時間のなかで何ができるかを考えれば、できることに絞り込んでやるしかない。その時は必ずやってくるので、今何をすべきかを逆算するんです。それが自分の基本的な考え方ですね。
一年間の種まきと、人生を変える一本の電話

退職後の一年間、さまざまな商品を試されたとお聞きしました。
いただいた退職金は全額使いましたね(笑)。足裏に貼る健康シートとか、黒生姜の飲み物とか、傘の水滴を取る機械とか。銀座のサンアイビルや京王百貨店でデモ販売もしましたよ。全部日の目を見ずに終わりましたが、私は失敗とは思っていません。
それがあったから今がある。挑戦するための布石や種まきと捉えれば、失敗なんて基本的にありません。自分が失敗だと思った瞬間に、全部失敗になります。すべて自分が決めることですからね。
そのときの一番の目的は人脈を作ることでした。アパレル時代に築いた人脈はありますが、それは会社のものであって、辞めた瞬間に自分のものじゃなくなります。だからゼロから自分の人間関係を作り直したんです。あの一年間がなければ、その後の出会いもなかったでしょうね。
特に転機やきっかけとなった出会いはありましたか
きっかけはアポなしの飛び込みでした。足裏シートをチラシに載せてもらおうと、ある出版会社に電話をかけ続けたんですが、全然相手にしてもらえなかったんです。直接訪ねたら、たまたまその日の受付にいた新入社員の方がフレンドリーに話を聞いてくれました。
その方の紹介で出会ったのが、飲食店向けの「油脂分解システム」の立ち上げプロジェクトに関わっている方です。おかげでプロジェクトに加わることができた。あのとき、チラシに載せてくれって飛び込んでいなかったら今はないですね。
そこからネズミの事業に転換したきっかけをお聞かせください。
「油脂分解システム」の営業で全国の飲食店に出入りしていると、表には絶対出てこない話が出てくるんです。「ネズミが出る、衛生状況が改善できない」なんて話は、何度も会って話をして、信頼関係ができた相手だからようやく打ち明けてくれることです。そういう悩みが、どこの現場にもありました。
そんなとき、一本の電話を受けました。電話に出たときの駅の光景を今でも鮮明に覚えています。電話の内容は「ネズミの生態について深く研究している人がいる」という、それだけの話でした。ビジネスの話でも何でもない、ただそういう人がいる、という電話です。でも聞いた瞬間に、全身に電流が走りました。本当に、体がガーッとなって、これだ、と。……オカルトみたいな話に聞こえるかもしれないけど、本当のことです。
全身に電流、というのはどういう感覚だったのでしょうか。
直感ですよね。でも根拠のない直感ではなくて、「油脂分解システム」で現場を見てきたなかで、この業界の裏に何があるかは肌感覚でわかっていました。その上での直感だから、確信に近いものがありました。その後1〜2ヶ月でその方に会いに行って、業界のリサーチをして、既存のお客様に話を聞くうちに、確信はどんどん強まっていきました。
戻る橋はない。真にお客様の望んでいることを追求するだけ

事業開始当初から「ネズミをゼロにする」と打ち出したのは、相当な覚悟だったと思います。業界の常識は「ネズミはいなくならない」でしたよね。
「ゼロにします」というより、「ゼロにしなくてはならない」が正確な表現ですね。お客様が真に望んでいるのはネズミがいなくなることです。それができなければ、ビジネスとして成立しない。それは私たちに課せられたミッションです。
当時は社員も含めてみんな素人、全員が未経験でした。大変だったでしょうと言われますが、だから良かったのかもしれないと思っています。業界経験者がいると「それは無理だ」が前提になってしまう。うちは今でも経験者を採りません。出発点が違うから、そもそも考え方が相容れないんですよね。
「ネズミゼロ」にするためにどんなことをされましたか?
電気を消して、一晩中お店にいる。それだけです。カメラなんかまだない時代ですから、全部アナログでした。ネズミがどこから入ってきて、何時に動いて、どこを通るかを自分たちの目で観察し続けました。当時の現場を一言で言えば、無我夢中ですね。でも「川を渡って橋がなくなった。もう戻れないから前に行くだけだ」と、よく言い合っていました。選択肢がないから、必死でやるしかありませんでした。
「約束を守る」という企業理念はどのように生まれたのでしょうか?
会社を作るときに、何が正しいことなのかを寝ずに何ヶ月も考え続けました。出てきた答えが「約束を守る」という言葉です。単純な話だと、「今日何時に行きます」という約束を守ってくれるかどうか。お米屋さんにはお米がある、という当たり前の約束が成立しているかどうかです。全ての根底にあるのは、約束を守るということなんですよ。仕事だけじゃなく、プライベートも、人間関係も、全部そうです。それが一番の土台だと確信しています。
変化し続けることと、変えないこととのバランスについてはどう考えていますか。
バランスは100対100です。変化は100%。変えない土台も100%。二つが同時に、完全に成り立っています。約束を守るという企業理念は、土台として100%普遍です。その上に立っているものは、100%変化し続ける。スマートフォンも変わるし、時代も変わる。変化しなければ、その瞬間にもう取り残されています。
うちは「ガラパゴス経営」です。他社と同じ土俵で戦うのではなく、独自の進化を続ける。差別化じゃなくて区別化。ガラパゴスの生き物が、逃げ場のない厳しい環境で柔軟に進化してきたように、うちも弱者だからこそ変化し続けなければならない。それが生き残る唯一の方法だと思っています。
社員ひとりひとりが代表者。全員で業界の未来を作る

社員への思いについてもお聞かせください。変化が速い組織のなかで、社員との関係をどう大切にされていますか。
社員は全員、ジーピーコーポレーションの代表です。現場に行く人も、営業も、経理も、みんな看板を背負っています。だから「この会社でよかった」と思える場所を作ることが、経営者としての私の約束でもあります。自分が満足していない人間は、お客様に満足を届けられません。やらされてやる仕事と、自分で動く仕事は、同じ時間でも全然違いますよね。
印象的だった社員とのエピソードがあります。ある社員が寝坊して、現場に穴を開けてしまったことがありました。直接本人から私に電話がかかってきて、その社員は「すみません、寝坊しました」って言ったんです。私はその言葉に驚いて、思いっきり褒めました。だって、誰でも自分のミスを誤魔化したり、言い訳したりしたくなるものですよね。でもその社員は、言いにくいことを正直に言ってくれました。ミスの大小より、誠実さが大事です。そういう小さな積み重ねが、会社の土台を作ると信じています。
これからのジーピーコーポレーション、そして業界の未来をどう見ていますか。
衛生事業は裏方で、誰も見ていないところでインフラを支えていますが、これから10年、20年後には裏方が表舞台に出る時代が来るでしょうね。SNSがここまで発達し、たった一枚の写真が企業の資産価値を一瞬で変えてしまう時代です。この仕事の重要性は、劇的に上がってきています。業界は必ずもっと大きくなります。創業当時からそう確信してきました。業界の市場が広がっていくなかで、ジーピーコーポレーションが目指しているのは、日本の衛生コンサルティングのスタンダードを自分たちで作ることです。
一方で、10年、20年後に私がここにいるとは限りませんが、ジーピーコーポレーションという会社が社会に必要とされ続けること。それが、私がこの事業をスタートした意義だと思っています。

株式会社ジーピーコーポレーション
代表取締役 帆苅誠インタビュー
2026年5月13日